剣客風説草紙

伍之回
千両 狂死郎
 月の明かりが僅かに夜の暗さを和らげている。片田舎の寺の敷地に建てられた俄作りの部隊はその中にひっそりとあった。
 その舞台の中央に千両 狂死郎は胡座をかいてひとり、物思いにふけっていた。
 どの位の時間が過ぎたのだろうか、石の様にじっと動かない狂死郎に一人の女が声をかけた。
「何を、そんなに悩んでおられるのですか?」
 しかし、答えない。さらに続く女の声。
「あの、いさかいのことでしょうか…?」
その言葉にびく、と反応する狂死郎。暫くして、貝のように閉じていた口を開き、語り始めた。
「わしは、己の舞で観客の、人の心を打ち、天下太平の世を作り出すつもりじゃった。しかし、実際はどうじゃ…。」
 豊作祈願の祭りに是非、あなた様の舞を。と、この地へ呼ばれた狂死郎は、阿国とともに舞を披露し、絶賛をうけた。お互い笑い合い、くつろぎ、楽しみあう村人たちを見た狂死郎は、己の舞を誇りに思った。
しかし、その翌日、水門の権利を巡って2人の村人が争いをおこし、死者が出たのだ。

「所詮、わしの舞はそんなものなのか…。
人を救えないのか、無力なのか…。」
声を振るわせ、落胆の表情を浮かべる。
「何を言われます。あなたは、私を救ってくれたではありませんか!
私に阿国という新しい名前と、新しい生き方を与えてくれたではありませんか。」
そういうと、女は狂死郎にそっと寄りかかった。女の目にうっすら浮かぶ涙を見て狂死郎は、
「そうで…あったな。すまん、阿国。わし
は、お前を救えたこと、お前が傍にいてくれることを誇りに、これからも舞ってゆこうぞ。」
 そういうと狂死郎はそっと、女の肩を抱き寄せた。

(終わり)
引用元:芸文社「月刊ネオジオフリーク」2000年7月号
イラスト:北千里 画伯


 文章中の「声を振るわせ」は正確には「声を震わせ」と書きます。また、セリフ途中で不自然な改行が入っていますが、これらは全て原稿のまま記載しました。
 ということで、千両狂死郎と羅将神ミヅキのその後です――と書くと語弊がありますね。正確には狂死郎と、かつてミヅキを調伏しようとして失敗した美州鬼(びずき)のその後です。
 時期としては真サムエンディングの後。
 狂魔王の呪縛から解かれた美州鬼に、罪滅ぼしとして共に舞おうと阿国の名前を与えた狂死郎は、しばらくしたのち江戸の町で「狂死郎 漢一代記」を舞い始めます。三日三晩舞い続けてもやめず、客が離れても舞い、楽師が倒れても延々と舞い続けた彼は、半年後、舞の終わりと共にこの世を去ったとされます。

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